彼女を巡る争いのシーンにて

 05,2012 23:40
職場では、いつの間にか腐女子と断定されているわたくし。同僚たちに腐女子だと正面切ってカミングアウトした覚えはないけれど、強いていえばBLにハマりたての頃、同僚の一人にBLを読んだと話したことで、腐女子認定されたのかなー……と思っている。


十分な証拠ですかね? ですよね? そうですよね。


さて、仕事の合間の雑談でのこと。


「好きな女の子が自分のことを好きかもしれないという時でも、こんな薄汚れた自分は似合わないとか勝手に決めつけて、身を引いたりする男っているじゃん。あれってさ、自分に酔ってるだけだよね」


と同僚女子・アシュラちゃん(※目周りが阿修羅像に似ている)の言葉に、その場にいた誰もがうなずいた。いますね、そういう訳の分からない人。自己完結してるというか、ナルシスティックというか……。


「よくマンガでさ、同じ女の子を好きになったせいで、その子を巡って二人の男が決闘するシーンがあるじゃん。どっちがその子を獲得するかってやつ。あれもさー、実は女の子にとっては迷惑な話だと思わない? その女の子の気持ちは無視かよってことになるじゃん」


と、これまた同僚女子・メガネちゃん(※メガネをかけている)の言葉を聞いたとたん、わたしの脳内ではこっそりと、懐かしいメロディが流れ出した。


ええ、ピンときた方もいらっしゃるかもしれませんが、アレです、竹内まりやの「けんかをやめて」。


出だしの歌詞でいきなり、二人の男が“わたし”を巡ってケンカをしているわけだけど、ふと、


――この歌詞の女性って、もしかしたら今なら“リア充的”といえるのかも――


と思った。だって二人の男性が自分を好きで争っているという事態にオロオロしながらも、どう見てもウットリしみじみ浸っているとしか思えない歌詞なんですもの。「女友達にカレシの数を自慢したかった」みたいなことも言っているし。


この歌詞の女性は、間違っても「ちょっとー、私の気持ちはどうでもいいっての?」という、醒めた見方はしそうにない。


でもそんな醒めた見方をする女の子がリア充的じゃないとは、言い切れないよなぁ。というか、醒めた見方にリア充か否かはあんまり関係ない気がする――とつらつら思っていたのだけど。


「女の子を取り合ってケンカっていうシーンも、やっぱり自分に酔っているんだよ。こういうことしてるオレカッコイイ! なんだよ」


というアシュラちゃんの言葉に思わず、


「自己陶酔もあるだろうけどさ。それってケンカしてるお互いのことが大事でお互いのことが好きなんじゃないの? って思っちゃう。そういう男二人の姿を見て、腐女子は妄想しちゃうんだと思うわ


脊髄反射的に反応してしまったわたしがいた――


これまで職場で腐女子だと決めつけられても、「ええ腐女子ですけどそれが何か?」と開き直ったりせず、むしろ「え……いや、違うよ?……」みたいな態度で困惑の体裁を取っていたというのに、わたしときたら! あっさりツルッと正面から腐女子だと認めたようなものじゃないですか! 迂闊すぎるにもホドがある


「……そ、そっか! あ! 争う男二人を客観的に妄想して眺める腐女子っての、面白いかも!」


とフォローしてくれたメガネちゃん、ありがとう。あなたの思いやり、忘れません……。


でも、もしも腐女子の女の子だったら、自分の気持ちそっちのけで争う二人の男子を、醒めた目でみるだけでなく妄想してしまうっていうの、アリなんじゃないかなと思うんだけどなぁ……ダメかしら?


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Tags: 腐女子

Comment 2

2012.07.06
Fri
23:59

卿熙 #sSHoJftA

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第三者を利用して彼氏(女)のことを想う

こんばんは、lucindaさん。:-) とても面白い書き込みで、

読んでいるうちに、腐女としてニヤついてました(笑)。

確かにlucindaさんの発想、ユニークで面白かったですが、

これ見て思いついたことがあります。

必ずしも「ヤオイ的な視線」というわけではありませんが、

最近、日本の近代文学をジェンダー的に見る研究者の中で、

このように、他人を媒体にして好きな人と交流する、みたいな

見方で作品を見たりする研究者も増えていますし、

文学の学会ではそのような見方も、結構認められているようです。

例えば、夏目漱石の「こころ」で、

外見上では「先生」とKが下宿先の娘を奪い合っているように見えますが、

実はこの二人が同性愛的、とは言えなくても男同士の絆、

があるのではないかという見方をする研究者もいるそうです。

実際「先生」が気になるのは下宿先の娘ではなくKだとか…。

もちろん、その研究者は私の知っている限りではBLとかヤオイとか知らないです。

別に性的マイノリティーなどでもないようです。

でも実際学会でそんな見方の方が結構いるそうで、

そういう見方も、案外多くの人がしているかもしれないな、と思われました。

ところで、考えてみれば、その人が好きだけど、直接その人と親しくなれないから

第三者を利用し、相手を嫉妬させてこっちを向かせたり、

彼氏(女)が好きな相手を自分も選ぶことによって彼氏(女)の

一部でも共有したがったりする気持ち、実際あり得ると思います。

これについてのちょうどぴったりのBLマンガを思い出しましたが

濡れ場の話になりますので嫌がる方もおられるでしょうし、

自分勝手な読みかも知れないので遠慮しときます。

編集 | 返信 | 
2012.07.11
Wed
01:50

lucinda #-

URL

コメントありがとうございます

>卿熙さん
レスが遅くなってすみません。

>最近、日本の近代文学をジェンダー的に見る研究者の中で、 このように、他人を媒体にして好きな人と交流する、みたいな 見方で作品を見たりする研究者も増えていますし
そうなんですか! でも漱石の「こころ」は、すでに腐女子の妄想に取り込まれ済みのようですよw もちろん、先生とKです。でも腐属性はなくてもそんな風に見る方もいるというのは面白いですねー。

>その人が好きだけど、直接その人と親しくなれないから第三者を利用し、相手を嫉妬させてこっちを向かせたり、 彼氏(女)が好きな相手を自分も選ぶことによって彼氏(女)の 一部でも共有したがったりする気持ち
ややこしいけど、ありますよね。なんかちょっと前のTVドラマでも見たような気がしました…気のせいかもしれません…(苦笑)

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