ラブリーベイベー(舞台)

 05,2011 23:17
「この舞台、lucindaにもぜひ見てほしいわ~!」


とmiriam先輩から言われ、がぜん興味が出てきた現在公演中の舞台「ラブリーベイベー」。先輩ズ贔屓のあのグループのメンバーが出ているとあって、先輩ズは初日からすでに何度も足を運んでいるらしい。


ところで、どうして先輩がわたしに見てほしいと言ったのかといえば、この舞台、ゲイの作家が主人公で、彼を取り巻くほかの登場人物も全員ゲイかレズビアンという設定。つまりノンケはゼロというわけで、腐女子でちょっとソッチ寄りのわたしなら、興味を持てるんじゃないかと思ってくれたみたい。


わたし、映画は好きなんだけど舞台は今ひとつノれない感じが拭えず、これまで先輩ズはじめ友人たちに誘われていくつか見ているものの、素晴らしい、面白い、と思っても「もう1回見たいな」と思ったことはなかった。


だがしかし、この舞台は「もう1回見てもいいな」と思ったほど、すんなり入り込めた。祝☆初めての舞台再鑑賞希望


ここから長いのとネタバレしているのとで、折りたたみます。

物語の背景を簡単に説明すると、主人公・レンジは金持ちらしいゲイの作家。舞台はレンジの親が所有するリゾートホテルで、そこへレンジとその恋人・マナトをはじめ、仲の良い友人たちが定期的に集まっている。


マナトは重篤な病を患っており、病死してしまう。だがマナトへの想いを断ち切れないレンジは、執筆中の小説にマナトを女性として登場させ、自分や友人たちの恋愛模様を描こうとしているのだ。


舞台では、マナトの「生前=過去=現実」と「死後=小説執筆のための妄想」の時間軸が行ったり来たりしながらレンジとマナトの恋愛を描きつつ


二人の友人たち――ゲイのカップル、レズビアンのカップル、そしてレズビアンのカップルの一人に片思いするレズビアン――の、それぞれの恋愛関係が展開される、という感じですかね。


ちょっとグダグダになりそうなので、腐女子目線とセクマイ目線から、印象的なポイントを箇条書きでまとめてみた。


■小説の中のマナトは男性のままでよかったんじゃない?


「そうなのよ! なんで女性にしたんだろって思うんだよね」と、先輩ズも言っていたけど、わたしも真っ先にそう思った。なぜ女性にする必要があったのか? どうして男性のまま描かなかったのか?


レンジが執筆中の小説は、マナトとの関係を基にしているため、私小説の色合いが濃い。ということは、レンジは世間にはセクシュアリティをカミングアウトしていないので、カムフラージュのためにマナトを女性にしたのかなぁ……などと深読みしていたのだけど。


しかしマナトは小説の中で、最初から女性として描かれているわけではなく、「性転換した女性」として描かれるのだ。ん? じゃあ別にレンジのカミングアウト云々は関係ないじゃん?


「マナトが死ぬ時、自分が女だったら結婚して子どものいる家庭を作れたかもしれないのに、みたいなことを言うじゃない? だから小説の中では女性にしたのかなーって思ったんだけど……」


というmiriam先輩の推論には、なるほど、と思う。確かにそういうセリフが伏線になっていたというセンはあるかもしれない。


でもさー……と思うのだ。別にマナトは女性になりたかったわけじゃなさそうだし、生前も女性っぽさなどカケラもなかった。だから、小説の中でわざわざ性転換した女性として描かれるのが、しっくりこないんだよなぁ……。


観客が入りやすいように、同性愛カップルだけでなく、“見た目”ノンケカップルを入れ込んだのかなぁ……モヤモヤするったら!


■そもそもなぜ、登場人物はみんな同性愛者として設定されたのか?


マナトの性転換設定に疑問を感じるうちに、じゃあなんでこのお話は、みんな同性愛者なのか? というところにたどりついてしまった。


ぶっちゃけてしまえば、別に同性愛者のカップルに設定しなくてもよかったと思っている。だけど舞台で繰り広げられる恋愛のアレコレが、


「同性愛だろうと異性愛だろうと、嫉妬とか浮気とか恋愛の悩みは同じだな」


と観客にはすんなり思えたに違いない、と感じられたのはすごい。恋愛の普遍的な問題や悩みがリアルに描かれていたということだと思う。


それに、舞台のカップルたちには、恋愛のおおよそ行きつく先の全てが投影されているのも巧い。すなわち、結婚、死別、浮気などの問題による別離、あるいはそれを乗り越えての関係修復、片想い、失恋――といった具合に。


ゲイやレズビアンを、オネエとかダイクとか、安易に面白おかしく強調していなかったのも好印象。オネエやダイクでもいいけど、多分そんな風にすると、「恋愛の悩みはどこも一緒」という感覚が薄れるからじゃなかろうかと、個人的に推測している。


ネットで検索した舞台紹介記事によれば、作・演出を手がけた河西祐介氏は『口語調の会話劇で、「日常会話の延長でどこまで非日常的を描けるか」とリアリズムの限界に挑戦している』らしい。うーむ、同性愛カップルとして設定したのは、このあたりに理由があるのかしらね?


■レンジはもちろんカワイかったけど、個人的にはアサヒ&コウスケカップルに萌え


レンジ役の三宅健は、とてもキュートだった。先日、miriam先輩に見させてもらったちょっと前の深夜ドラマでもゲイを演じていたのだけど、そこでもとってもキュート&スウィートで、うーん、アイドルの力ってハンパないなぁ! と感心したのだけど。


舞台でわたしがイロイロ気になったのは、レンジの友人、アサヒとコウスケのカップル。アサヒがナンパした男と浮気するシーンの、ドキッとするようなやりとりのリアルさや、コウスケがアサヒにキスをねだるシーンのカワイさにニヤニヤしてしちゃった。


浮気性のアサヒは最後、コウスケに棄てられるのだけど、アサヒ、捨て身でコウスケに追いすがるんだよねぇ……。わたしはあの後二人がどうしたのか、気になって気になって……。あれって、「現実」なのかなぁ……それともレンジの「小説の中の出来事」なのかなぁ……。


■ハルカのヤキモチが5歳児の姪っ子のようだった件&そんなハルカに片想いしているキョウコに熱烈に幸せになってほしい件


レズビアンカップルのハルカ&カスミは、とにかくハルカが超ヤキモチ焼き。カスミの浮気を想像しては、勝手に嫉妬して大騒ぎしている困ったちゃん。


しかしそのハルカの困ったちゃんっぷりが、なんだか我が姪っ子(5歳児)の駄々のこね方とものすごく似ていて、ちょっと笑ってしまった。


心を許した好きな相手に甘える行為は、どこか子どもが甘える行為に似ているよなぁ……とかねがね思っていのだけど、困らせる行為もまた然りなのか――。しかしハルカはもう大人ゆえ、見ていると相当うるさく鬱陶しい


そんなハルカに密かに片想いしているのがキョウコ。キョウコちゃん、とってもいい子なのよ……。みんなの優しいお姉さんという感じ。ハルカなんて早く忘れて、キョウコちゃんには幸せになってほしいわぁ……。


■レンジと女性版マナトは、恋人同士というより姉弟に見えて仕方なかった


レンジの小説執筆のための妄想に登場する女性版マナト。もちろん、レンジと恋人らしいやりとりをするのだけど、なんだかそれがどうも、「お姉ちゃんに甘える弟」の姿に見えてしまって困ってしまった。


女性版マナトを演じている小島聖の背が高いせいなのかしら……。


女性版マナトは、レンジの母親的存在なのかもね」と先輩は言っていて、なるほど……と思ったのだけど、ということは意図してそんな風に見せているのかな。


うーん、女性版マナトの演技に不足はない。けど、あれが男性のままのマナトだったら、また関係性は全然違って見えただろうなぁと思うと、ちょっと惜しい気がするんだよな……。



舞台は、過去と現在、妄想と現実を行き来するため、ちゃんと意識していないと、今見ているものが現実なのか妄想なのか、ふとわからなくなりそうな時がある。


だから、究極な仮定として、レンジ&マナト以外のカップルのことも、全てレンジの小説の妄想かもしれない、という穿った見方もできなくもないのが面白い。


そして、ベッドルームやリビングルームなど異なる空間を同じ舞台上で見せるセットやライティングの工夫がとても興味深く、こういうことが印象に残るのも初めてのことだと感じ入ったのだった。


もう13日には東京公演は終了、その後大阪に移って20日には千秋楽ということだけど、再演があれば、また観に行きたいなぁと内心思っている。


え? もちろん先輩ズは大阪まで追っかけるようですよ!


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Tags: ゲイ レズビアン 演劇

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