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攻め攻めしいアナタと、受け受けしいアナタ 1

 24,2011 23:10
やおい・BLには、“攻め”と“受け”があるわけだけれども、かねがね、“攻め”や“受け”を断定させる、または直感させるモノって何なんだろう……と思っていた。



例えばマンガや小説を読んだり、ドラマやアイドルを見たりしていて、なぜ、あるキャラクターを“攻め”または“受け”と感じるんだろう?



しかも、“攻め”とか“受け”とか感じたことを、不特定多数の人が同じように感じるのも興味深いし、一方で、逆に感じる人がいることも面白い。サナシマが多数派と思いきや、シマサナも存在を主張している、みたいな(ちょっと久しぶり)



商業誌のBLは作者のオリジナル作品なので、設定されている攻め・受けをそのまま受け入れるけど、たまに、「この攻め(受け)は、受け(攻め)っぽいなー」と思うこともある。



一体、人は――って、ちょっと風呂敷を広げすぎですね――もとい“わたし”は、キャラから何を感じ取って“攻め”とか“受け”とか判断し、決めつけているんだろう? 何が、そう感じさせるんだろうか?



――というようなことを、この春先からちょっと、ずっと考えていた。<とんでもないヒマ人っぷり



ここから長いのと妄想が激しいのとで、折りたたみます。
そもそもそんなことを考えるようになったきっかけは2つある。



そのうちの1つが、以前からちょこちょこ読んでいたのだけど、前職を辞めてから腰を据えて読むようになった連載対談『人生の諸問題(日経ビジネスオンライン)注1』。高校・大学と同級生だったコラムニストと広告クリエイティブディレクターが、転職や失業や離婚やアルコール依存症といった人生に降りかかる諸問題について語っている。



これがね……読めば読むほど、クリエイティブ・ディレクター氏がどうにも攻め攻めしく感じられて仕方ないのだ



子どもの時から、イタズラでも何でも、何かを企み仕掛けて周りを引きずりこんでいたとか(コラムニスト氏を麻雀に引っ張り込んで、彼の車をせしめたという逸話に仰天)



受験も就職も“ゲーム”なんだから、ルールを熟知し、勝つためにどうすればいいかを考えるべき」と言い切ったり、仕事において自分のルールを持ち込んで勝負を仕掛けたり、相手を挑発するのを面白がったり……



そんな、対談での発言やエピソードが、どうにもこうにも攻め攻めしい。



でも、これほどまでに攻め攻めしく感じるのは、クリエイティブ・ディレクター氏の、「オレがルール」的押し出しの強い発言や態度と同時に垣間見える、自らの弱さを否定しない余裕っぷり。コラムニスト氏が彼について揶揄しても、柳に風と受け流す。



例えばコラムニスト氏から、「お前はフィジカルはジャイアンでメンタルはスネ夫。最悪だよ」と言われても、「確かに最悪だな」と受け流す。「女々しさ」がテーマの対談では、自分の女々しさを素直に認める。



強気で自信に満ちた発言をするだけなら、場合によっては、受けっぽさを感じることもあると思うのだ。すでにそんなカテゴリはあるじゃないですか。「女王受け」とか「俺様受け」とかね。



だけど、非常に強気な態度ながら、自分の弱点や欠点を指摘されても激昂することなく、自分の弱さを対外的にしっかり認められる――というのは、ワタクシ個人的に、非常に攻め攻めしさを感じるポイントなのかもしれない――と思い当たった。



クリエイティブ・ディレクター氏は、有名大学を出て、一流企業に就職し、仕事において功成り名遂げ、独立して運営している会社も順調で……と、対外的に見るともう十分じゃないですか、と思えるほどの人生に見える。ま、離婚はしたかもしれないけれど。




だけど、そんな輝かしい経歴の裏でのさまざまな苦労や挫折が語られているせいか、「十分」ではあるけど「完璧」ではないと感じる。ここも、攻め攻めしく感じるポイントの一つかもしれない。もうどっからどうみても完璧な人は、受けとしてアンアン言わされるといいよ!――と思っちゃうもの。それはわたしの個人的な趣味かしらそうかしら。



ちょっとここで、これまで攻め攻めしいと感じた人やキャラを思い返してみた。



イ●ローとか……陸上のロボとか……。圧倒的に強くて本人たちはものすごい努力をしているけれど、見ている人にそうと感じさせないような悠然さがある。白鳥は水面下で一生懸命水をかいている、というアレですね。



海外小説だけど、「スワッグ」(エルモア・レナード)の武装強盗をたくらんでいた自動車ディーラー・フランクも、武装強盗を成功させるための「成功と幸福をつかむための十則」を考えてひょうひょうと実行し、相棒のスティックに批判されてもどこ吹く風な様子が攻め攻めしかったよなぁ……。



そのスティックも、刑務所から出てきてからの物語「スティック」では、金持ちや身分の高さに物怖じしない、なんともいえない余裕っぷりを見せつけていて、攻めっぽかった――フランクの前ではそれほどではなかったけど。今考えると、フランクとスティックは攻め×攻めだったんだな。あ、わたしの妄想的にはね!



李歐」(高村薫)の李歐も、逆境にへこたれずに常に前向きなで余裕綽々に見える様子が攻め攻めしいと思っていた。「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」(塩野七生)で描かれるアルフォンソ・デステの、変わり者だけど何事にも動じない様子も攻めっぽかった。



陰陽師」(夢枕獏)の晴明のあの平常心な態度も攻めっぽいんだけど、でもわたし、カップリングは博雅×晴明で落ち着いているなぁ……うーむ。



わたしにとって「攻め攻めしさ」とは、セックスの役割的なイメージとは必ずしも一致しているわけではないのかもしれない。というかわたしには、キャラに感じる「攻めっぽい」または「受けっぽい」という印象と、「カップリング」は別物なのかも。



ちょっとその辺りが若干モヤモヤするけど、態度や言動が強気でも、前向き、かつ批判されても動じていない(ように見える)余裕のあるたたずまいに、わたしは“攻め”っぽさを感じるということは了解した。



じゃあ、わたしが受け受けしさを感じるポイントって何なのか。



――続きます。


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Tags: やおい BL カップリング

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