ランナウェイズ

 28,2011 23:21
1970年代に活躍した、アメリカの女性ロックバンド「ザ・ランナウェイズ」の、結成から破綻の内幕を描いた物語。観終わったあと、いろいろと物思わされた。

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長いので折りたたみます。
ロックは、21世紀の現在でも“男性的”な要素を強くアピールする音楽だと思うし、そうであることを求められがちなジャンルだと思う。


パワフルで、アグレッシブで、セクシャルで、マッチョがダダ漏れしている感じ。うわ、全部翻訳ナシのそのままカタカナですね。無理やり日本語にすると、“力強く攻撃的または反抗的で、なおかつ性的な魅力を前面に過激に押し出している”といったところ。以前、ロックについてウダウダと感じたことを書いたけれど、この傾向に大きな変化はないような気がする。


ロックミュージシャンは、男女問わずカッコいい。だけどこの映画を見て、女性ロックミュージシャンの


“男に負けないロックをやりたい”


という願望と、


“ロックのカッコ良さを追求すると男性的にならざるを得ない”


という苛立ち、そして


“ロックの攻撃性や過激さを表現しようとすればするほど、男性から期待されてしまうエロティックさ”


への疲労感や絶望感のせめぎ合いを、目の当たりにしたような感じがしたのだ。


ザ・ランナウェイズは、ジョーン・ジェット(ギター)と、サンディ・ウェスト(ドラム)が、プロデューサーのキム・フォーリーを介して知り合い、結成される。

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キム・フォーリーがなんだか得体の知れないアヤしさ全開。しかもキム役のマイケル・シャノン、デカい


映画によれば、バンドメンバーが出揃い、あとはヴォーカルをどうにかしなければ……というところで、キムがシェリー・カーリーをスカウトし、ザ・ランナウェイズの形が整う。


キムは、ガールズロックバンドというコンセプトに夢中になるけれども――シェリーとそのほかのメンバーとが抱く「ロックへの思い」というか「目指すロック」には、最初から微妙な温度差があったと思う


シェリーは、確かに当時の女子高校生としてはエキセントリックだった。デビッド・ボウイに憧れているのはともかく、学校の文化祭みたいなイベントで、ボウイの「Lady Grinnings Sou(薄笑いソウルの淑女)」をビジュアルも含めて口パクし、学校中で冷笑されたりしていたもの。


双子の姉妹・マリーが先に初潮を迎え、ボーイフレンドを作ったことに対抗心を抱きつつも、シェリーはカワイくて従順な「女性はこうあるべき」的価値観を飲み込めないでいた。


そんなところを見ると、ジョーンを始めとしたほかのバンドメンバーと同様、映画ポスターに踊るコピーのように、「“普通の女の子”でいたくなかった」という思いが強かったのは、間違いなさそう


だけど映画を観ている限り、シェリーはキムの口車に乗り、ジョーンたちの情熱に押されてヴォーカルを務め、ロックバンドのフロントウーマンを演じていたように見えるのだ。つまり、他人によって、踊りを踊らされていたように見える、ということ

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レコード会社との契約のシーン。シェリー役のダコタ・ファニングのボーカリストとしての成長っぷりがすごい


キムは「ザ・ランナウェイズ」を成功させるため、パワフルでタフでアグレッシブなパフォーマンスを、バンドメンバーに叩き込む。例えば、扇情的な歌詞、挑発的な歌い方、オーディエンスの野次への対抗方法など。


あまりに過激で扇情的な歌詞に、シェリーは当初、尻込みする。しかしキムは許さない。ほかのメンバーも許さない。なぜならロックは、というより当時の男性によるロックは、そうしたものだったから。女性だからといって避けていては、カッコいいロックミュージシャンとして認められないから


「ロックとは、パワーとバイオレンスとセックス」というようなことを叫んで、キムはザ・ランナウェイズの面々を焚きつける。「チンコで考えろ」的な言葉をがなり立てる。シェリーもジョーンも、ザ・ランナウェイズのメンバーはその言葉を懸命に消化しようとする。


しかし、シェリーだけが日本の雑誌のグラビアのために撮影され(このカメラマンがまさかシノヤマキシンなのかしら!?)、ほとんど下着のようなあられもない姿で、セクシーなポーズを取らされているのを見たバンドメンバーは、激昂してシェリーを罵る。「あんたはポルノ女優じゃないでしょ!?」「あんたばかり目立って、音楽を紹介してないじゃない!?」と。


男もすなるロックを女もしてみむとて、過激な歌詞を扇情的なパフォーマンスで歌い上げていたものの、ロックを離れて同じようにパフォーマンスすると、とたんに仲間たちから批判さる。あはれなり。


何かといえばメディアに取り上げられるシェリーへの、バンドメンバーの嫉妬もあったと思う。しかし、男性ロックバンドから滲み出る男性的価値観を模倣して、シェリーは過激なファッションで過激な歌詞を歌っていたのに、バンドから離れたところで同じように過激なファッションとポーズでキメるのは、男に媚びていると許容されない。バンドで歌っている時のあのパフォーマンスは“媚び”ではないらしいという、この複雑さ。


シェリーとジョーン、サンディはドラッグや酒に溺れていてムチャクチャなことをするのだけど、その様子は、同じく70年代に活躍したほかのメジャーなロックバンド(当然男性ばかり)のムチャなエピソードを彷彿とさせて、「70年代ってこういう時代だったんだな」と感心させられる。


しかしある意味では、“ロックバンドはこうしたもの”的な価値観を、なんの疑問もなくシェリーたちは共有していたということでもある。映画の終盤、キムが「ザ・ランナウェイズはコンセプトロックバンド」と言っていたけれど、その「コンセプト」とは、「ロックバンドとして」女の子が男性並みにアグレッシブに振舞うということだったのだろうと思う


とても微妙で複雑なダブルスタンダードだけど、似たようなことは、現在もちらほら見られるんじゃなかろうか――。


ところで、ジョーンはシェリーを何かと気にかけていて、シェリーのことが好きだったんだろうなぁ……と、ちょっとしたさまざまなシーンで思わされる。サンディにも気持ちを許しているようだけど、明らかに、シェリーへの気持ちとサンディへの気持ちとは、違っていたようだ(個人的にはサンディが好きだけど)


シェリーとは体の関係もあったっぽいが、それより何よりジョーンときたら、ドラッグや酒に一緒に溺れつつも、壊れそうなシェリーに寄り添い、ほかのバンドメンバーの批判や罵倒から、必死でシェリーを庇おうとするんだもの。

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日本滞在中にぶっ倒れたシェリーに添い寝するジョーン。クリステン・スチュワート、なりきってます


そんなジョーンの様子に比べたら、シェリーはローディーとも関係を持ったり、双子の姉やアル中の父親のことを気にしてみたりと、いろんな意味でどっちつかずに見える。が、この映画自体、シェリーの自伝を基に作られているということを考えると、シェリーにとってもジョーンとの関係は、忘れがたいということなんでしょう。


シェリーが去り、バンドが分解し、ふさぎこんでいるらしきジョーンが、ふと思いついたようにギターを持った時、「I Love Rock'n Roll」が流れたのには、一条の光りが差し込んだように思えて、ちょっとジーンときた。ジョーンは何より、音楽を、ロックを愛していたのだと思えて。

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「女にはエレキギターは教えない」などと言われたりもしたジョーン。最初からロック一筋


現在、女性ロックミュージシャンはたくさんいるけど、そういえばガールズバンド的な、女性ばかりのメジャーなロックバンドはあまり思い当たらない。


それは70年代当時と同じく、微妙なダブルスタンダードがいまだに立ちはだかっているということなんだろうか。しかし振り返ってみれば、わたしが好きなロックバンドは、男性だけのバンドばかりだな……うーむ。

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Tags: 音楽 レズビアン フェミ?

Comment 1

2011.12.01
Thu
17:02

目多墓80 #-

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感想

地味でエロス
を嫌う中性的
な私にはロック
はわからん。

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