“昼は淑女、夜は娼婦”の裏を邪推(1)

 03,2009 23:26
先日、映画「沈まぬ太陽」を見てきた。

――いろんな意味でスケールが大きすぎな映画だったのだが、見終わった後、友人・Kさんと意見が一致したのは

「なんかこう、“昭和”って感じだったねー!!」

ということだった。

まず、「たとえ冷遇されようとも、誰もが正社員でお勤め」という前提に隔世の感があるというか<そこか

ほかにも、アグレッシブな労組運動と“アカ”という罵り言葉、権力者への酒と金と女の接待などなど、どこか泥臭さい。まあ、今もやっているところはやっているんだろうけども。

でも、「今どき、あれはいないよねぇ」とKさんとしみじみ言い合ったのは、主人公・恩地の妻。これがもう、絵に描いたような“貞淑で夫に従順な妻”で――専業主婦で、夫には丁寧語で接し、表立って反論せず、常に夫の三歩後ろを歩いて、子どもたちと姑に尽くしているのだ。

こういう“妻”が理想だと思ってる男の人は多いんだろうねぇ……と、Kさんと一緒に笑いながら憤慨してきたのだけど、しかし、わたしは心の中で同時にこう思っていた。

――あんなにかいがいしくデキた妻ながら、エロくない――

いや、フラッグ・キャリアの腐敗に立ち向かい不条理な扱いを受ける男・恩地を描いたストーリーなので、エロを描く必要がないのはわかる。しかも夫婦間のエロなんて、ストーリーには全然関係ないしね。

でも、主人公のライバル・行天と愛人のやりとりも、ちっともエロくない。濡れ場がないからなんかじゃない。二人の間に濃密な空気がないのだ。

むしろ濃密なのは、恩地と行天、あるいは恩地と労組の後輩、行天と管理職、総理とフィクサー……などなど、ことごとく男同士の関係ばかり。

なぜ妻や愛人とのやりとりよりも、男同士とのやりとりの方が濃密なのか――答えはカンタン、男たちの生々しい苦悩や憤りや喜びは、男たちの間でしか展開されていないから。女たちは、それを外側から眺めているだけで、極端に言えば“添え物”のような感じ。

映画を見ていて、特にやおい脳は発動しなかったのだけど、なんだかなぁ……と思いながら、帰りの電車の中で読みかけの本を開いたとき、ふと頭の中に、なぜかこんなことがひらめいた。

――“昼は淑女、夜は娼婦”な世界にいる男性たちの関係は、なんだかホモソーシャル的だなぁ……!

その本については……長くなるので、次エントリーに続きます。
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Tags: ホモソーシャル フェミ? ジェンダー

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