彼女が意識していたもの〔1〕―ホンの幸せ(氷室冴子)

 03,2009 23:00
わたしは氷室冴子作品の大ファンだ。だが、大ファンというわりには読んでいない作品もあって、これもそのうちの一冊。

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様々な雑誌に掲載されたエッセイや文庫の解説をまとめたもの。本とつきあう楽しみや、本と暮らす幸せが詰め込まれている。漫画から大衆文学、純文学、そして評論まで、ジャンルを問わず、古今東西、硬軟自在、縦横無尽に「本」を取り上げ、著者自身の本に囲まれた生活を交えた辛口爆笑エッセイ。もっと本と親しんでみようと考えたら、まず手に取ってみたい一冊。

氷室冴子さんのエッセイでは、「いっぱしの女」にものすごく共感して、氷室さんを勝手に近しく感じたのだけど、このエッセイも、「いっぱしの女」に負けず劣らず、わかるなぁ……とうなずくところがたくさんあった。

よく考えてみれば、「いっぱしの女」もこのエッセイも、30代の氷室さんが感じたことや考えたことが綴られているので、今現在30代の自分がいちいちその内容にうなずいてしまうのは、当然なのかもしれない。

タイトル通り、氷室さんが面白いと感じたさまざまな本が紹介されていて――硬めの歴史書が取り上げられていると思えば、ダイエット本が興奮とともに語られ、少女まんがへの愛のない怠慢な評論に憤り、あまりなじみのない北欧の小説に、氷室さんの故郷・北海道での思い出とともに触れ――と、本当に多彩なジャンルの本の魅力が、ユーモアいっぱいに語られている。

紹介の中には、氷室さんが書いた「文庫本の解説」も含まれているのだが、その中の、『性分でんねん』(田辺聖子)の解説の中にあるこの一節、

田辺聖子さんのエッセイや小説のコワさは、耳になじむ音のいい文章にのせられて読みすすむうちに、いつのまにか自分の体の中に沁みこんできて、
「そうそう、私もそう思ってたのよ。どうして、こんなにピッタリ同じこと、考えているのかなぁ」
とあらぬ錯覚、誤解をしてしまうところかもしれない。田辺さんの文章を読むまでは、そんなことチラとも考えていなかったのに、エッセイなり小説なりに触発されて、いつのまにか自分の血肉化してしまう。(P155)

を読んだ時、

――これ、「田辺聖子」を「氷室冴子」に置き変えたら、そのまんまわたしの感想だ!

と心の中で叫びそうになった。わたしにとって、氷室さんの文章はまさにそういう文章であり、それくらい、わたしは氷室さんの感じたこと、考えたことに、そうだそうだとうなずいてしまうのだ。

だからこのエッセイを読むと、ここに紹介されている本はすべて気になって読んでみたくなる。イギリス史に全然興味がなくても、「アッと驚くほどの明晰さで解きほぐしていく」などと書かれていたら、どんな感じなのか、確かめずにはいられない気持ちになってしまう。

そしてこのエッセイ、腐女子的なアンテナに触れる部分があることにも、ニヤニヤしてしまった。その一つが、氷室さんが森茉莉のファンだったというくだり。

美少年たちが恋を繰り広げる、耽美小説として今もタイトルがあがる「恋人たちの森」の著者、森茉莉ですよ!

氷室さんは、森作品数冊を手に、なんと自宅近くまで行って電話までかけ、「5分でいいから会ってほしい」と頼み込んだらしい。

このときの森茉莉は、「女形みたいなカン高い声」で40分にもわたって「来てもらっては困る」理由をあれこれ並べ立て、氷室さん曰く、「おろかなファンの欲望と好奇心を期せずして満たしてくれた」らしい。ああ、なんだかその森茉莉の様子が想像できるなぁ!

それにしても森茉莉ファンなら、氷室さんは耽美的な作品、もっといえば男同士でアレコレな設定にも抵抗はなかったのだと思う。しかし氷室さんは、男同士より女同士なのだ。それを強く感じたのが、吉屋信子作品のファンであり、大きな影響を受けたというエピソード。

女の子が女の子であることがそのまま祝福されている吉屋信子の世界は、つまり<私>が<私>でいい世界でもあったのだ。(P189)

と綴る氷室さんは、吉屋信子作品が、「大学生時代に漠然と感じていた将来への不安をどこかで癒してくれていた」と打ち明ける。そしてさらに、オイルショック後の女子大の求人票の少なさなど、女子を取り巻く現実の厳しさに直面し、就職浪人となって初めて書いたジュニア小説「クララ白書」について、こう断言するのだ。

女の子が外界の目に惑わされずに女の子でいられる究極の世界としての寄宿舎を舞台にした『クララ白書』だったのは、決して偶然ではなく、意図したものだった。(P189)

きっと、ずっと親しんで癒されてきた吉屋信子のような作品を、と意識していたに違いない。こんな意図があったと知ると、「クララ白書」をはじめ、一連の氷室作品が、そしてそこに描かれていたさまざまなヒロイン像が、また違って見えてくるような気がする。

しかし、「私が私でいい世界に癒される」という気持ち、BLを読んで癒される腐女子の気持ちに似ているんじゃないかしら? 氷室作品は、男女でも女同士でも、どこかやおいっぽい雰囲気があると思っているのだけど、その印象は、こういう根っこの気持ちにつながっていたのかなぁ……。

それはともかく、氷室冴子という人は、女性や少女について、ひとかたならぬ思い入れのあった人だと思う。その実感については、また次回にまわします。
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Tags: 氷室冴子 耽美 やおい 百合

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