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サムライとヤクザ―「男」の来た道(氏家幹人)

 30,2008 23:08
サムライとヤクザって、また意外な取り合わせだなぁ……と思ったら。根底には、似通った倫理観と現代社会に通じる歴史的な素地が潜んでいるみたい。

サムライとヤクザ―「男」の来た道 (ちくま新書 681)サムライとヤクザ―「男」の来た道 (ちくま新書 681)
氏家 幹人

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(紹介文から)幕末に旗本達はいったい何をやっていたのか? 戦士の作法「男道」から役人の作法「武士道」への変質を裏づけ、武士と任侠の関係から読み解く、「男」の江戸時代史。

かなり昔、「武士道とエロス」を読んで以来、心の中で勝手に「ミッキー」と読んで、その著作をちょこちょこ読んでいるわたし。江戸社会の習俗や武士社会の実態がわかりやすく(でもくだけすぎず)書かれていて、いつも「へぇぇ!」と感心してしまう。

この作品も例に漏れず――改めて並べてみると、たしかにサムライとヤクザ、どちらも「男」を強調する組織だよなぁ……。そして独特の「掟」が布かれているガチガチな組織というのも、似ている気がする。切腹とか指詰めとか、どちらも体を傷つけて義理を通そうとしたり面目を保とうとしたりするしね。

紹介文にもあるけれど、“戦士の作法「男道」”がキーワード。「男道」の「男」は戦士ということのようだ。

江戸初期、まだ戦国の世の、戦いと死の記憶が色濃く残っていたころ、「男道」の実践者(?)は武士だった。大名や上級武士は江戸幕府の組織の中で生きていくためおとなしくしていたけれど、下級武士たちの中には、「かぶき者」として徒党を組み、反体制的行動を取る者がいた。しかし世の中が落ち着き、「かぶき者」が幕府から弾圧され、武士が戦わなくなってしまってから、「男道」を継承したのは町の男たち。それも、江戸の藩邸が雇い入れた駕篭かきや火消しなどの「荒くれ者」なのだった。

つまり、「武威の外部委託」(エピローグより)。

現代、「武士」「サムライ」という言葉で多くの人がイメージするのは、やはり刀を持った(槍や弓、場合によっては鉄砲も)武装している男たちだと思う。でも江戸時代の武士の実態は、現在の官僚みたいなもの。権力はあっても、武威はとっくに失っていたというのが――なんだか切ない。

戦士ではなくなった武士は、自らが雇い入れた町の男たちの「男らしさ」「男気」を恐れながらも憧れ、一方町民は、戦わない武士(=男じゃない)を軽んじるようになる。面白いのは、エピローグで著者ミッキーが論じる

「武威の外部委託と、武士における“男としての引け目”が、明治以降たぶん現代に至るまで、サムライを自負する政治家や企業戦士が、アンダーワールドの男たちを毅然と排除できないばかりか、ややもすれば彼らと“共存”し、その力を“活用”する慣習を生んだ歴史的素地だったのではないか」

という一節。うーむ……たしかに、政治家や官僚、企業のスキャンダルの背景にアンダーグランドの男たちが絡んでいる――というような週刊誌の見出し、よく見るものねぇ……。それにしてもそんな歴史的記憶、保ち続けなくてもよかろうに……。

思わず唸ってしまったのは、明治維新前の、まさに江戸幕府が「伸るか反るか」の動乱期、幕府軍でよく戦った戦士たちは、なんと「町の荒くれ者」つまり、駕篭かきや火消し、博徒などの町民だったということだ。そういえば新撰組の面々も、元々正式な武士ではなかったよなぁ……。武士≠戦士の信憑性がますます強くなる気がするわ。

ところで、武士が雇い入れた駕篭かき(陸尺)たち、身長によって賃金も違っていたらしい。一番賃金の高い「上大座配」は176~182㎝、「中座配」は171~176㎝、「並小座配」は168~171㎝、そして「平人陸尺」は168㎝未満……ということで、「上大座配」は「平人陸尺」の4倍の賃金を取っていたんだとか。176~182㎝の男って、江戸時代には相当にデカい男だったんじゃなかろうか。さだめし目立って、娘さんたちには「カッコいい~ッ!」ともてはやされたに違いない。「男伊達」シリーズの辰吉がモテまくったのも、想像できるってもんだ。

そうそう、作品の中では、男(武士)の世界の同性愛的習俗にも触れられている。そりゃ、「武士道とエロス」の方が詳しいけれど――腐女子としては注目しないわけにはいきません。伊達政宗も、愛する男への気持ちの証として、自傷していたなんて(笑)。

作品については、ヤクザ以前の荒っぽい町民については論じられているものの、ヤクザそのものが論じられている部分は少なく、なんとなく尻すぼみっぽく感じないでもない。でも「男道」、というか「男がすたる」「男を磨く」などに使われる「男」という言葉の持つ力に思いを馳せてしまった。義理人情に厚く、強きをくじき弱きを助け――って、あれ、これって「任侠」の精神じゃん? でもそれ以外の「男」のイメージが思い浮かばない。サムライだろうがヤクザだろうが、もうずっと昔からそういう「男」が理想とされてきたんだなぁ……もうほとんど軽い哲学の域にイッてるみたいだなぁ……としみじみしてしまう。

現実にそんな「男」がいるかどうかはさておくとしても、ね。
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Tags: 氏家幹人 警検麻ヤ 武士侍 歴史 ジェンダー

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