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『onBLUE vol.27 “巻頭特集 紗久楽さわ”』― 唸ったりうなずいたり陰間のことを考えたり

 01,2017 23:55
『百と卍』を読みながら、「なんとなく、雲田はるこさんの作品みたいな雰囲気があるなぁ」と思っていたわたし。


“雲田作品”で、この時すぐに浮かんだのが『いとしの猫っ毛』だったのだけど、素直で素朴な感じの受け(恵ちゃん)と、ちょっと屈折している風な攻め(みぃくん)、という組み合わせは、あながち卍と百樹からそれほど外れていない感じがしたし、キャラたちの様子やセリフがコミカルだったりほのぼのと楽しげだったりしながらも、その裏側にある悲しみや痛みのようなものが、ほんのりと浮かび上がる感じも、似ている気がした。


そんなわけで、紗久楽さわさんと雲田はるこさんの対談が掲載されていると知ったからには、『onBLUE vol.27』を買わずにはいられなかったのだ。


onBLUE vol.27
onBLUE vol.27


いやそれにしても、『onBLUE vol.27』の特集のことを知れたのは、ラッキーだったなぁ……。何しろ、『百と卍』が売り出されたのは2月だったというのに、全然知らなくて1ヵ月ぐらい遅れて買ったぐらい、このところ、BLの出版情報に鈍くなってるんだもの。


閑話休題


さて、対談のページを開くと、タイトルに


「好きなものの傾向が似てるんです」


とあり、「や、やっぱり……!」とドキドキ。しょっぱなの小見出しも「趣味嗜好の似ているふたり」だもんね。


カップリングの好みについて、「綺麗な攻め×可愛らしいでっかい受けが、お互いのツボ」という言葉も、確かに! と心の中でうんうんとうなずいた。


この作品の時代考証の確かさや丁寧さには、何度も唸って感じ入ったことだけど、そんな風に感じたのも、以前、わたしも陰間に興味を持って、ほんのちょっぴりだけ調べたことがあったから。


“ほんのちょっぴりだけ調べた”程度の情報は当然のごとく作品に盛り込まれており、対談の中の、


BLであっても、私としては、男色天国にだけ特化して江戸を描くのは違う気がするというか……(略)
誤解されていることを解きたいという気持ちは、正直なところ、ありますね。事実を改変しないと創作ができないという誤解を解きたい。(『onBLUE vol.27』P28~『スペシャル対談 × 雲田はるこ』より)




という紗久楽さんの言葉に、さすが! とまたまた改めて感じ入った。


百樹を陰間として仕込む「まわし」だった百樹の兄・醒さんについて、「最初から最後まで社会的に普通の人」と説明されているのは、ちょっと意外だったところ。


“普通の人”が、実の弟を陰間として仕込むだろか――? でも、奉公人の醒さんの立場としては、突如亡くなった子供の穴埋めとして手元にいた百樹を差し出さざるを得なかったのかもしれないし、辛い仕込みを他の男の手に委ねるよりは自分が……と考えて行動するのは、弟への愛情ゆえともいえなくもない……のかしら?


作中で、百樹の先輩陰間「十五夜」が言う言葉


坊さん後家はん相手のお勤めも苦行苦界の地獄の沙汰
其れを兄が“まわし”で弟が“陰間”とは畜生道も極まりおすなぁ……
(『百と卍』P102)




は、まさに作品を読んでいるわたしの実感と重なるところなのだけど、キスをしてきた百樹に「これは商売や」と頭を抱えたり、年季明けで見世を出ていく百樹を見送るモノローグを読んだりすると、醒さんは確かに、“最初から最後まで社会的に普通の人”としての“弟を可愛がる兄”なのかもなぁ……と思い直した。


だからこそ、対談中の雲田さんの言葉


私は、兄弟ものってなかなか受け入れがたいものがあるほうなんですけど、このお兄ちゃんと百ちゃんみたいに描いてもらえたら、切ないなってちゃんと萌えられました。(『onBLUE vol.27』P28~『スペシャル対談 × 雲田はるこ』より)




にも、心から共感。


それにしても、この百樹の陰間時代は、何度読んでも辛く悲しく――。対談によると、紗久楽さん自身も描いていて辛かったとのことで、担当編集氏に「もうやめてください」とストップをかけられたのだとか。ストップがかからなかったら、どんなことになってたの……!?


そのほか印象に残っていることを、箇条書きでピックアップしてみた。

・「オーディオコメンタリーみたいに紗久楽さんにあれこれ解説つけてほしい」という雲田さんの言葉に全力で賛成。マジでそれを聴きたいor読みたい。

・『百と卍』を読んでいる浅草の芸者さんは、卍のことを“卍さま”とおっしゃっているそうで――やだ、素敵! 

・『百と卍』の作画は筆だと知ってびっくり!


続きが出るのが待ち遠しいけれど、逆にまだまだ百樹と卍のお話を読めるのかと思うと、嬉しい。


そして歴史モノや時代モノの作品好きとしては、こんな途方もないBL作品を読めるなんて望外の喜び……! と幸せを噛み締めるのだった。


■おまけ:『百と卍』を読んで陰間について思ったこと

百樹が陰間だった江戸後期(文政時代は1818年~1830年)、陰間茶屋は全盛期よりだいぶ少なくなっていたということなのだけど、当時、役者を目指しているわけでもない少年は、陰間になるということを、どう感じていたんだろう……と思った。


役者の世界に足を踏み入れた子は、陰間(陰子、舞台子、色子)という存在を知っていたと思うけど、芝居を知らない子たちは、「陰間」という商売を知っていたんだろうか?


『onBLUE』の対談を読むと、道端で“売り”をやっている子たちもいたようだし、薩摩や土佐、会津などには衆道も残っていたので、男同士でアレコレということは、全く知らないわけではなかったのかなぁとは思う。


ただ、『百と卍』の中で、卍と百樹がイチャついているのをちょっと蔑む描写があるのを見ると、同性愛関係は、あまり肯定的に見られてはいなかったらしい――という感じはするけれども。


そして、陰間茶屋は「子供屋」、陰間は「子供」とも呼ばれていて、それを初めて知った時は、あまりにもダイレクトな表現に衝撃を受けたのだけど、今回、『百と卍』を読んで、「やっぱりエグい表現だよなぁ……」と改めて思った。(このエントリを書く時に念のため「子供屋」で検索したら、深川の遊女の置屋も「子供屋」と呼ばれていたらしい。どっちにしても直截的すぎだよ!)


「衆道の契り」もだけど、陰間にしても、必ずその関係は「年上×年下」であり、“受け”の年下は、成人していない、あるいは成人していても前髪を残した未成年スタイルが一般的だった――ということを認識させられるたび、現代のゲイや同性愛のイメージとは、ちょっとズレるよなぁ……と思う。陰間は島田髷を結って振袖を着ていた頃もあったというし。


170502文中
「衆道物語」(1661)より。坊主や月代の男性を相手にしているのは、やっぱり若衆髷の少年ですね


まあ、当時と現代の“子供”や“未成年”の概念は同じではないだろうから、一概に一緒に考えられないだろう、とは思うけど。


現代のゲイや同性愛のイメージからはズレている気はするものの、「衆道の契り」や陰間茶屋は、現代の腐界隈でいうところの“JUNE”や“耽美”のイメージには近い、といえるかも。


――腐女子が誕生するのも、仕方がない……仕方がない……!
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Tags: 紗久楽さわ 時代モノ 陰間 ゲイ 男色

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