『私がオジさんになっても 』(村上キャンプ)―読後の満足感の理由を考えてみた

lucinda

「BLは少女マンガのようなもの」とはいわれるものの、とはいえ、「これ、まんま少女マンガじゃね?」という作品には、どうにも萎えてしまうlucindaです。


「まんま少女マンガじゃん」と思う個人的ポイントは、受けに男性的要素が一ミリも感じられないことかなぁ……。いや、もしかしたら受けの男性的要素という以上に、受けと攻めの関係性に、BL的なものが感じられない、というところなのかもしれない。「それ、男女の関係そのまんまでしょ」てな具合に。


――というようなことを、この作品を読んで今さらながら、改めて思ったのだった。


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村上キャンプ

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自分の可愛さに酔ってるナルシストの大学生・三角は、ある思いを抱いていた。それは「男でも抱きたくなるほど可愛い」の実証!バイト仲間の童貞美大生・吉丸を誘ってエッチに成功するが、2回目はなくそれきりに。ところが5年後、社会人になった二人は再会するとつかず離れずのセフレの関係に…。20歳、30歳を過ぎても可愛いと言ってくれるのは一人だけ。ボンヤリ系男子×ナルシスト君の20年愛。



“自分の可愛さに酔ってるナルシスト”、“「男でも抱きたくなるほど可愛い」の実証”――って、あああ、なんだかイタいコねぇ……! と、ちょっと見てはいけないものを見たような気持ちにさせられる。でもそんな三角も、三十路を手前に「自分はもう可愛くない」と容貌の衰えを自覚し、アラフォーを前に久しぶりに会った吉丸の「かわいい」という言葉には、「さすがにもう、かわいいはないだろ」と後ろ向きに対応するようになってしまう。


――いるよなぁ、こういう女性キャラ。しかも、再会した吉丸に抱かれている時の


「吉丸が俺で勃ってる」「俺でこんなに興奮してる」


というモノローグも、男女モノのエロ作品で見かけたような……。


そもそも、タイトルの『私がオジさんになっても』も、昔のヒット曲のモジリだし。


だがしかし、この作品を読んでいる途中、そして読み終わった後に、「なんか、男女モノの焼き直しって感じ」などとは、ちっとも感じなかった。わたしの中では、ちゃんと「BLを読んだ」という気持ちで満たされていた。


なぜだろう? なぜかしら?


何度も読み直しながら気が付いたのは、この作品、三角と吉丸の、20年もの時間が描かれているにも関わらず、生活感漂う具体的な描写が見当たらないということ。


例えば三角が吉丸のためにいそいそとご飯を作ってやったり世話を焼いたり、というようなシーンがない。その逆も然り。


意地の悪い言い方をすれば、生活上の世話をするというわかりやすい形で、受けが攻めに、あるいは攻めが受けに、尽くしたり奉仕したりするような描写がないのだ。ただただ、二人の関係と気持ちの移ろいが、淡々と描かれているのみ。


かといって、三角と吉丸の、相手を思いやる様子が描かれていないわけじゃない。


ナルシストな三角が自分本位に誘った吉丸のことを、いつしかその存在感の大きさに気付いて恋しがる様子や、三角の勢いに流されただけかに見えた吉丸が、三角に惹かれていたと自分の思いを語るシーンなどが描かれていて、お互いのお互いへの気持ちは、読んでいて充分伝わってくる。


そういうわけでこの作品、“受けは男女モノの女子キャラっぽい感じ”と思ったにも関わらず、読後感は男女モノを読んだ感じがしなかったのかも、と思ったのだった。


作中で20年の年月が過ぎているので、キャラも相応に“大人”になり、老けているのだけど、それにしても吉丸の成長(?)ぶりがステキ。あんなに懐の深い男になるなんてねぇ! いやいや、いきなり三角に乗っかられても動じた風ではなかったので、もともと懐は深かったんだろうけど。


二人がこれからも共に生きるであろうと暗示させて物語は終わるけど、描き下ろしで、44歳の三角がナルシストに戻っているのが笑える。ま、それも、そんな三角を、吉丸がしっかりと受け止めているからこそ、そしてそれを三角がちゃんとわかって信じているからこそ、なんですけどね。


村上キャンプさんの作品、こういう関係性がさらっと描かれているのが、本当に素晴らしい!
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