『リリーのすべて』 ―レビューその1/わたしが感じたこと編

 16,2016 03:13
すでに見た友人・知人から、かなり評判のよかった『リリーのすべて』。


よく行く映画館で上映されていたので、見に行ってきた――あやめさんと、vivian先輩とで。

リリーのすべて
原題:The Danish Girl
監督:トム・フーパー 2015年 イギリス
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1926年デンマーク。風景画家のアイナー・ヴェイナー(エディ・レッドメイン)は、同じく画家の妻ゲルダ(アリシア・ヴィキャンデル)に女性モデルの代役を依頼される。その際に、自身の内面にある女性の存在を感じ取る。それ以来リリーという女性として生活していく比率が増していくアイナーは、心と体の不一致に悩むことに。当初はそんな夫の様子に困惑するゲルダだったが、次第に理解を深め……。シネマトゥデイより)



自分は女性だと自覚し、“本当の自分になりたい”と願い焦がれ、苦悩するリリーの様子を見ていたら、もう何ともいえない気持ちになって、スクリーンの向う側に手を差し伸べて、リリーを抱きしめたくなってしまった。


“切ない”のだけど、そんな言葉で言い切ってしまうのは軽々しい気がして、安易にその表現を使うのがためらわれるように感じたほど。


特に、最初の性別適合手術を受けるためにドレスデンへと旅立つ駅のシーン。やつれたリリーの、妻への申し訳なさそうな、でもいよいよ“本当の自分”になる一歩を踏み出すという期待をうかがわせるような表情は、胸に迫って涙が出そうよ、わたし……………!


――と思ったその瞬間に、スン……スン……と隣から鼻をすする音が。――あ、vivian先輩も泣いてる! いやわかります。泣きますよね、ここ!


心の中で先輩に強くうなずきつつも、ストーリー展開に目が離せず、スクリーンに釘付けになっていたのだけど、映画が終わり、左隣りを見てみたら。


先輩だけじゃなくて、あやめさんも、めっちゃ泣いてた!!!


「もう、涙が全然止まらなくなっちゃって……」
「泣き出したところ、多分同じだよね!?」
「メガネをかけたままだから、もう涙がメガネのパッドを伝うわ、目尻から流れるわ、大変だった~!」


――作品を堪能できたようで、よかったですよ……!


実際、胸を打たれるシーンばかりだったけど、強く印象に残っていることを、無理繰り3つにまとめてみた。


■リリーとゲルダの不思議な関係

妻のゲルダは、それはもう非常に献身的にリリーを支える。でも二人のやりとりを見ていたら、なんだか姉弟みたいだなぁ……と、ところどころ、感じたりもした。


内気なリリー(=アイナー)をパーティーに引っ張り出したり、パリへの移住を決めたりと、何かとゲルダが、リリーをリードしているように見えたからかもしれない。


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女性モデルの代わりに、アイナーに足のモデルを頼んだのが、リリーへと覚醒するきっかけだったのだ


とはいえゲルダは、リリーを夫として愛していて、最初にアイナーが女装をして舞踏会に出かけた時、男性(ヘンリク)に迫られているのを見て、嫉妬するのだ。また、作品の最初の頃は、アイナーがゲルダをベッドに誘ったり、イチャイチャしたりと、二人が夫婦生活を営んでいたことがわかるシーンもいくつかある。


二人の関係は、ちょっと不思議な感じだなぁ……と思わずにはいられなかった。夫婦であり家族であり親友である、というような。


ゲルダは、夫が“リリー”となったのは、女装をさせた自分のせいではないかと悩む。そして、どんどん、夫である“アイナー”ではなくなっていくリリーに、「夫を返して」と涙ながらに訴えたりもする。それでも、手術後は苦しむリリーに寄り添い、退院後もリリーと暮らすのだ。それはもちろん、リリーがゲルダを頼りにしているからでもあるのだけど。


――“夫への愛情”以上のものがなければ、あんなに尽くせないし支えられないんじゃないかなぁ……。


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リリーに寄り添うゲルダ。彼女自身も苦悩している様子が、丁寧に描かれていた


リリーとゲルダが、お互いに自分に似ている、と言うシーンが何度かあるのだけど、似ているから惹かれ合ったのかもしれない、とも思った。特にリリーは、ゲルダと出会った頃は自分の中の“女性の存在”を自覚していなかったけれど、自分に似ている“女性”、という部分に、無意識のうちに敏感に反応したんじゃなかろうか、などと思うのだった。


■“本当の自分”が受け入れられない苦しさ

リリーがアイナーとして過ごしていた頃、彼は風景画家として、故郷の風景を描いていたのだけれども。


アイナーがリリーとして過ごすようになり、ゲルダに問われるまま、親友のハンスとのエピソードを話した後、「故郷の風景を思い出せない」とリリーが呟いたシーンは、ゾッとした。


“ハンスとのエピソード”とは、子供の頃、ハンスがリリーにキスをしているのをリリーの父親が偶然目撃し、ハンスは父親から殴られ、それ以降、ハンスと会えなくなった、というもの。


リリーは、「ハンスはあの時、私の中の女性を感じたのだと思う」みたいなことを言うのだが、その直後に自分の父親がハンスを殴り、恐らくリリーも怒られたであろうことを想像すると――リリーが自分の中の“女性の存在”を、ずっと抑圧してきただろうと、思い巡らさずにはいられない。


また、リリーの女装が遊びや冗談などではないとわかったゲルダは、リリーを病院に連れて行くのだけど、そのシーンも見ていて辛かった……。ことごとく精神病とみなされて、最後に行ったところでは、危うく拘束されそうにもなるんだもの。そういえば、当時ゲイも精神病扱いされていたんだっけ。本当の自分になりたいという気持ちが理解されず、リリーがどんどん憔悴していく様子は、やりきれない気持ちになった。


リリーが生きた時代は20世紀初頭、今以上に、“トランスジェンダーって何?”という感じだっただろう。でも、現代でもリリーのように苦しみ悩んでいる人は少なくないんだろうなぁ……と考えさせられる。


“本当の自分が受け入れてもらえない”ということでは、初めて女装したリリーに迫るヘンリクも、ゲイであることを隠して生きている一人。劇中、男性として男性が好きなヘンリクと、女性として男性が好きなリリーの違いが、ちょっとしたシーンでわかるように描かれているのは、巧いなぁと唸った。


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ヘンリクは初めて会った時から、リリーがアイナーだとわかっていた模様。演じるのは『007 スペクター』でQを演じたベン・ウィショー。この人も作品ごとに雰囲気が違ってみる俳優だと思った


■物語を彩り盛り上げる、美しくもどこか寂寥とした風景

リリーとゲルダが暮らすコペンハーゲンの風景が非常に美しく、何度も見惚れてしまったのだけど、緯度が高いところにある街特有の、ちょっと色合いの淡い、空気が乾燥していそうな雰囲気が寂しげでもあり、それがストーリーに、というかリリーに重なって見えるような気がした。


リリーが使っていたストールが風に舞い、ふわふわと遠くへ飛んでいってしまうラストのシーンは、観客の胸を打つとどめの一撃としか、思えないよ……!


アールヌーボー華やかなりし頃の、パリの画廊やカフェは、きらびやかで優美だったけれども、“爛熟”とか“廃退”とか“斜陽”とかいった言葉をイメージさせられもして、それも、リリーの儚い人生に合わさっているようにも思えたのだった。


リリーを演じたエディ・レッドメイン、最初の女装の時は、「うん、女装した男性だね」という感じだったのに、終盤が近づくにつれ、もう女性としか見えなくなっていたのは、本当に見事だった。


彼自身は、写真で見る限り、マッチョではないものの背が高く(180cm)、到底小柄には見えないのに、劇中ではどんどん小柄で華奢に見えるようになったのも――いやぁ、俳優さんって凄いですね! ハンスが分厚くマッチョそうな体型をしていたので、余計に華奢に見えた、ということもある……かもしれないけど。


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リリーとワケアリなハンス。演じるのはマティアス・スーナールツ。プーチンさんに似てる思っていたら、あやめさんも、方々のレビューでも同じことを指摘していた


――ここまでで、だいぶ長くなっちゃいました。映画鑑賞後、あやめさんたちと話して思ったこともまとめたかったのに。


というわけで、それは次にアップします。
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Tags: トランスジェンダー ゲイ 映画

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