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『少年の名はジルベール』(竹宮惠子)―生みの苦しみと世に出す苦難を思い、そして商業BLを思う[1]

 13,2016 23:41
あの『風と木の詩』は、こうして生まれたのか!――読むうちに、胸を震わせられずにはいられない、竹宮惠子氏による半生記。


少年の名はジルベール少年の名はジルベール
竹宮 惠子

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「男の子と男の子の微妙な友情って、いったい何なんだよ。ボツだ!ボツ!」七年間拒まれた編集者の壁。それは少女マンガのタブーだった。名作『風と木の詩』『地球へ…』創作秘話。(「BOOK」データベースによる)

少女マンガで革命を起こしたマンガ家の半生記。
石ノ森章太郎先生に憧れた郷里・徳島での少女時代。高校時代にマンガ家デビューし、上京した時に待っていた、出版社からの「缶詰」という極限状況。のちに「大泉サロン」と呼ばれる東京都練馬区大泉のアパートで「少女マンガで革命を起こす!」と仲間と語り合った日々。当時、まだタブー視されていた少年同士の恋愛を見事に描ききり、現在のBL(ボーイズ・ラブ)の礎を築く大ヒット作品『風と木の詩』執筆秘話。そして現在、京都精華大学学長として、学生たちに教えている、クリエイターが大切にすべきこととは。1970年代に『ファラオの墓』『地球(テラ)へ…』などベストセラーを連発して、少女マンガの黎明期を第一線のマンガ家として駆け抜けた竹宮惠子が「創作するということ」を余すことなく語った必読自伝。漫画ファンはもちろん、そうではない読者からも感動の声が続々と寄せられる「闘いの記」。



アマゾンには、上記二種類の“内容紹介”が表示されているのだけど、両方を読んだ方が、この作品をしっかりイメージできる気がする。


確かににこの半生記は、新人少女マンガ家・竹宮惠子氏が上京して同志やライバルを得て、時に将来の少女マンガについて熱く語り、時にライバルに刺激されたり嫉妬したりして、やがて自分の作品世界を作り上げていく青春時代を描いたものであり――


同時に、描きたかった『風と木の詩』を苦労と紆余曲折の末、週刊少女マンガ誌に連載するまでの、“プロジェクトX”的な記録(たとえが陳腐だけど)でもある。


中学時代にマンガ家を目指し、10代でプロとしてデビューした竹宮氏が、萩尾望都氏と出会って心を躍らせる様子、だけど後に、萩尾氏の活躍に焦りと不安、嫉妬を感じる様子は、自分でも大なり小なり覚えのあることで、息苦しくなるほど共感せずにはいられない。


早くにデビューしたものの、竹宮氏は自身で「これ!」と思う作品がなかなか描けなかったということも、意外だった。『風と木の詩』が連載されるまでの主だった作品について、当時の“気持ち”が率直に綴られていて、萩尾氏への気持ちと同様、よくここまで書かれたなぁとも思う。


何となくしか知らなかった「大泉サロン」について、たっぷり触れられているのも嬉しい。アパートは“サロン”とはほど遠いオンボロさだったらしいけど、沢山のマンガ家との交流の様子が窺い知れる。いやぁ、ほんと贅沢な場だなぁ!


そして、1972年に決行された45日間の欧州旅行には、心底感心した。当時は今のように格安航空券が出回っているわけではないし、現地の情報もふんだんに手に入れられるわけでもない。それなのに、「本物のヨーロッパを見たい!」と、本当に旅立ってしまう情熱。しかも萩尾氏と山岸涼子氏もメンバーに入っていたとは、なんという豪華さ。


――これが、読んでいて胸を震わせられずにいられようか!(※2回目)


しかし全編を通してわたしが最も驚き、印象に残っているのは、『風と木の詩』が、着想から掲載まで7年もの年月がかかっていたということかもしれない。7年って! 赤ちゃんが小学生になるのと同じ年月ですよ!?


そして『風と木の詩』の誕生には、編集者ではなく、竹宮氏の友人であり、マネージャー、ブレーン、ディレクター、プロデューサー等々全てをひっくるめた存在・増山法恵氏の存在が大きかったということ。編集者とともに作り上げたわけではなかったのだ。意外。


ぼんやりとしたイメージから“ジルベール”が生まれ、増山氏と深夜の長電話(8時間!)でどんどんキャラクターの設定やストーリーが形になっていくワクワクした感じ。


だが一転、“少年が主人公の、少年と少年の微妙な関係”を描きたいという竹宮氏の主張や要望が


「こんなのが載せられるわけない。少女マンガなんだから主人公は当然女の子に決まっている」


などと編集者から言下に拒絶される閉塞感。


もちろん、当時の編集者全員が拒絶して見向きもしなかったわけではない。特に作品の最後辺りに登場する編集者M氏は、


「読者アンケートで1位になれば、作家が描きたい作品を連載できる」


と話し、竹宮氏は実際、この言葉に奮起して戦略的に『ファラオの墓』を描き、アンケートの上位に入って、とうとう『風と木の詩』の連載をスタートさせるのだ。


でもM氏は、作品連載までの戦略を授けて道付けはしたけれど、“作品の完成”には関わっていない。作品を作ったのは、やはり増山氏やほかのマンガ家たちとの交流だ。そして作品連載に至ったのは、ただただ竹宮氏の不断の努力だ。


どういうわけか、これを書いていて少年ジャンプのあの有名なキーワードが急に思い出されたのだけど、ある意味、あの3つのキーワードは、『風と木の詩』連載までの道のりに当てはめられるかもしれない。すなわち、

“増山氏やマンガ家仲間との交流で形になった作品”(=友情)
“作品のブラッシュアップと、掲載を諦めない気持ち”(=努力)
“M氏の戦略に乗って勝ち取った連載”(=勝利)

と、こんな風に。


――竹宮氏の『風と木の詩』への思いの強さに感じ入りながら、実はわたし、この半生記を読んだ前後にあった、腐友とのオフ会での、とある“話し合い”を思い出さずにはいられなかった。


その話し合いのテーマは、“商業BLについて”。


続きます。


当ブログの『風と木の詩』のレビューはここから見られます。
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Tags: 竹宮惠子 腐女子

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