アデル、ブルーは熱い色

 19,2014 18:36
“レズビアンの恋を描いた”とか“カンヌ映画祭史上初、監督、主演女優二人がパルムドール受賞”とか、原作はバンド・デシネ(フランスのマンガ)とかいった前評判が気になっていた、『アデル、ブルーは熱い色』。見てきました。


アデル、ブルーは熱い色
原題:La vie d'Adèle
監督:アブデラティフ・ケシシュ 2013年 フランス

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教師を夢見る高校生アデル(アデル・エグザルコプロス)は、運命的に出会った青い髪の画家エマ(レア・セドゥ)の知性や独特の雰囲気に魅了され、二人は情熱的に愛し合うようになる。数年後、念願の教師になったアデルは自らをモデルに絵を描くエマと一緒に住み、幸せに満ちあふれた毎日を過ごしていた。しかしエマの作品披露パーティーをきっかけに、二人の気持ちは徐々に擦れ違っていき……。シネマトゥデイより)


そうだなぁ……確かに主人公二人は女同士だから、“レズビアンの恋を描い”ているのは間違いないのだけど、見終って思ったのは――


恋愛のあれこれに、レズビアンとか男女とかゲイとか、関係ないなぁ……!


ということだった。スピルバーグはこの作品について、「偉大な愛の映画、その一言に尽きる」と評したということだけど、同意。


恋に落ちてお互いに夢中な様子、同棲し安定しつつも、やや倦怠気味な関係、エマに構ってもらえなくて寂しさを募らせるアデルの様子、ほんの出来心だったアデルの浮気、破局、失意とエマへの未練――と、作品はまさに、アデルの初恋を最初から最後まで濃密に描ききった! という感じ。


しかもその間、高校生だったアデルは念願の教師になり、キャリアを重ねているようなので、もしかしたら作品の中で10年くらい時間が経っているのかもしれない。


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これは高校時代のアデル。いつも口が開いて前歯がのぞいているのが、妙にセクシー


そしてアデルの恋の一部始終は、“レズビアンだからこその特別な何か”といったことが、以下の2点を除いて、ほとんど見当たらない。


●アデルがエマとの関係を、家族や職場にカミングアウトするのをためらい、結局最後までしない。
●エマとのベッドシーン。



――この2点があれば十分、ビアンならではの関係じゃん! とツッコまれるかもしれないが、これでも真剣に、「あの映画にビアンならでは、な要素ってあったっけ?」と思い返して、どうにか2点、ピックアップしたのだ。


それくらい、作品を通してフォーカスされているのは「レズビアンであること」よりも「アデルの恋」だった。


アデルはエマに、ほとんど“心酔”のレベルで惚れていて、エマに尽くしている。エマの絵のヌードモデルも務めるし、エマの作品発表のパーティーでは、料理を作り、ホステスを務め、後片付けまでやっちゃうくらいに。


エマがほかの女性と親しそうに話しているのを見ると気になって仕方がないし、作品制作のせいでエマがアデルと一緒に過ごせる時間が少ないと、不安になって寂しくなってしまう。でも、アデルはエマに不安を打ち明けられない。呆れられたり、嫌われたくなくて。


――あるあるある! これ、恋をしているとあるよねー!! と、思い当たりませんか?


寂しさのあまり、アデルは同僚の男性とちょっとだけ浮気してしまうのだが、それを知ったエマが烈火のごとく怒り、二人の関係は破局してしまう。


アデルはショックで泣き暮らし、時間がたってもいつまでもエマを忘れられない。エマはとっくに、新しい恋人を見つけ、恋人の子供と一緒に家族のような穏やかな日常を手に入れているのに。


ラストで、アデルはめったに着ないワンピースを身に付け、化粧もキメてめかしこんでどこかへ出かける。もしかして新しい出会いを探しに……? と思ったら、出かけた先はエマの個展会場。


アデルと別れてからの作品が多く展示される中で、アデルをモデルにした作品が1点だけ展示されている。アデルはそれを見てちょっと嬉しそうにするものの、エマが現在の恋人や仕事仲間と話している姿を眺め、そっと会場を出て、悄然と去っていくのだ。


しかも、アデルのことを気になっているらしい男性が後を追いかけたものの、アデルの姿は見えなくなっており、男性はアデルを捕まえ損ねる、というオチつきで。


なんとも仮借ないエンディングですこと!


――エマとの時間を思い出にして前へ進むには、もう少し時間がかかりそうだなぁ……。前へ進めてくれる人が現れるといいんだけど。


そう思わずにはいられないほど、アデルの寂しそうな後ろ姿が印象的なのだった。


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LGBT系のデモに参加した時の二人。付き合い始めでイチャイチャしていたのに……。ところで、これより前にアデルが参加していた移民に関するデモでは、このデモに比べてアデルがはしゃぎまくっていたのが印象的


ほかにもいろいろと印象的なことがあるのだけど、結構バラバラなので、ここから箇条書きでまとめつつ、長くなったので折りたたみます。

■激しいベッドシーンにビックリ

そうはいっても、アデルとエマのベッドシーンはガッツリと入っていて、ちょっと面食らった。しかも激しく長い。


「あ……まだ続くのね……」って感じで、上から下から横から、さまざまなカメラアングルで映し出される二人を見ていると、「……いろいろなバリエーションを見させていただきました!」という気持ちになりましたよ、はい。


ベッドシーンはエロティックという以上に、お互いを本能のまま必死に求めていた、という印象が強い。特に、アデルがエマと出会う前、アデルに好意を寄せていた男子学生・トマとのベッドシーンで、アデルがつまらなそうにしていただけに。


そういうアデルの比較も、狙っていたんだろうなぁ……。


■生々しい「食」のシーンと、三大欲求

この作品には“食べる”シーンが多い。しかも上品に食べようが、行儀悪く食べようが、食べる姿をアップで映し出すのだ。はっきりいって、ベッドシーンよりもこの“食べる”シーンの方が生々しく感じられたほど。


見かけたレビューのいくつかで、「この作品では、人間の三大欲求が全て描かれている」と書かれていたのだけど、なるほど、そういえばアデルが眠っているシーンもいくつかあったな、と気が付いた。


三大欲求がしっかり描かれていたからこそ、アデルのみずみずしさ、生々しさが感じられたのかしら……?


■あちこちに散らばる暗示的な対比

作品中、“食”のシーンをはじめ、さまざまなシーンで、アデルとエマのバックグラウンドが対比されていたのも印象深い。


アデルの家では、父親がよく得意のスパゲッティ・ボロネーゼを振る舞う。アデルは口の周りにソースがついてもお構いなし。テレビを見ながらガツガツと食べ、最後にはナイフについたソースまで舐めとる!


これに対しエマの家で振る舞われたのは、生ガキ。ここでもエマの継父が腕をふるい、ワインも選び抜かれたものが用意されているのだが、会話を楽しみながら食事が進められるのだ。テレビなんてついてません。


アデルの父親は、安定した職に就くことが大事だと娘に説き、アデルもそれを信条として、手堅い教職に就く。ところがエマの家では芸術が尊ばれ、娘が画家を目指していることにも反対はしていない様子。おまけに、娘がレズビアンであることも知っているらしい。


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子供達にお遊戯を教えるアデル。子供たちが、超キュートだった!


対してアデルは、両親に自分の恋人が女性だと打ち明けないが、恐らく、両親が容易に受け入れられないと直感しているからだと思う。


保守的らしいアデルの両親に比べると、エマの両親はリベラルでいかにもインテリな感じ。そんな両親の影響は娘たちにも及んでいて、作中、エマがアデルに「(詩とか小説とか)自分で書けばいいのに」とすすめても、アデルは挑戦しようとしない。そんなアデルを見て、エマがちょっともどかしそうな表情をしていたのが印象的だ。


こういった対比を見せつけられると、違うがゆえに惹かれ合ったようにも思えるし、違うがゆえにすれ違ってしまったようにも思えるし――興味深い。


■アデルがレズビアンか否か――真相は藪の中

作中で、エマは自身が「私はレズビアンよ」と断言するのだけど、アデルがそうなのかどうかは、実は明らかにされていない。


三大欲求もそうだけど、とにかくアデルは「やってみよう」と思ったことは行動に移すタイプのようで、自分のことが好きらしい上級生のトマと、自分の気持ちを確かめようとするかのように寝てしまう。


結局、どうも違うみたい、ということでトマとは別れるのだけど、そりゃ違うでしょうよ……と、わたしは内心、ツッコミを入れずにはいられなかった。


だってアデル、トマとの初デートの前にエマとすれ違い、エマに激しく惹かれてしまうどころか、その夜、エマを思い出して自慰をしちゃうんだもん。デートで、トマとキスをしたにも関わらず。


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アデルと初めてすれ違ったシーンのエマ。アデルじゃなくても惹きつけられるでしょ!


その後、仲の良い同級生(女子)にキスをされ、何かに火がついたように翌日、その同級生に情熱的なキスをするのだけど、彼女には「ごめん、昨日はふざけただけ」と断られ、しょんぼりしてしまう。


エマと別れるきっかけになった、同僚男性との浮気はあるものの(キスシーンのみ)、全般的に女性の方に積極的な様子を見ると、アデルはレズビアンだろうと思うのだけど、そこは最後まで含みを持たせて明らかにしないのは、何か意図があるんだろうか!?


ま、レズビアンか否かというより、とにかくアデルは本能の赴くまま振る舞っている、と見せたかったのかもしれない。そして確かに、アデルの素直な表情や行動が、とても愛おしく見えたのは間違いない。


そういえば、アデルをレズビアンだと決めつけて、高校の同級生たちが集団でアデルを責めたてるシーンはいたたまれなかったなぁ……。そういうこともあって、アデルはセクシュアリティを明らかにしなかったのだろうか……なんてね。


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失意のアデルを慰める、仲良し同級生・ヴァレンティン。ヴァレンティンはとてもいいコだった…前半しか出番がなかったけど


見終った後は、もう満腹ですッ! という気分だったのだけど、あれこれ思い返すうちにもう一度見たくなる。決して、レビューを書くために内容を確かめたいからではなくて、アデルやエマの表情を見たくなるのだ。


最後に、作品のテーマを表しているような印象的なセリフを書き留めておこう。これを言った人は、アデルが同級生のヴァレンティンに連れて行ってもらった、ゲイクラブにいた人だったと思う。


「愛は性別の垣根を超える。幸せならそれでいい」



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Tags: レズビアン クィア映画 LGBT

Comment 1

2014.09.03
Wed
16:40

lucinda #-

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拍手コメントRES

>08/31 15:54 Mさま
コメントありがとうございました!
教えていただいたマンガ、知りませんでした~!
ちょっと興味があるので、チェックしてみようと思います。
Mさまも、どうぞお体ご自愛ください!

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