梨園の娘 (東芙美子)

 17,2014 17:42
歌舞伎役者の芸への執念と愛憎渦巻く関係が描かれた『花に舞う鬼』に、続編が出たと知ったのが昨年末。


『花に舞う鬼』は、なんだかもう登場人物たちのドロドロした関係に腹一杯になちゃって、テレビや映画といった“歌舞伎ではない”作品でしか歌舞伎役者を知らない身としては、


――役者さんて……歌舞伎って……大変なんだなぁ……――


と、げっぷしながらぼんやりと思ったものだった。


そんなわけで、続編もあんな風にドロドロしてるのかなぁ……と、ちょっとためらっていたのだけど、読んでみるとあにはからんや。


続編『梨園の娘』は、方向性の違うドロドロさにまみれつつも非常に後味爽やかな、ある意味“スポ根”的な物語だった!


梨園の娘 (単行本)梨園の娘 (単行本)
東 芙美子

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“今源氏”の仇名をもつ絶世の美男俳優・藤村霞右衛門が、長い独身生活に終止符を打った。そしてまもなく男女の双子が誕生する。兄の桂は跡継ぎとして大切に扱われ、妹の葵も父に溺愛されて天真爛漫に育った。ただし性別以外そっくりな双子には、決定的な違いがひとつある。父親の溢れんばかりの才能を受け継いだのは、皮肉なことに娘の葵の方だったのだ。女と生まれたからには、どうあっても歌舞伎役者にはなれない。それは梨園における鉄の掟だ。ジレンマに身悶え、それでも自分なりの道を模索する葵。だが彼女の前には、愛するがゆえに我が子の夢を全力で潰そうと立ちはだかる父の姿が…。芸の鬼に取り憑かれた、梨園の父娘ふたり。その愛と葛藤の軌跡!


続編とはいっても、『梨園の娘』の主人公は、藤村霞右衛門こと京二郎の娘・葵。だからというべきかどうか、『花に舞う鬼』が“男たちの物語”だったのに比べ、『梨園の娘』は“女の物語”だと思った。それも、“梨園という伝統ある徹底した男社会に生きる女の物語”


梨園がどれだけ男社会かは、作中でこんな風に語られているとおり。


梨園は男の倫理と行動様式で動いていく完全な男社会、いわゆるホモソーシャルであり、軍隊とほぼ変わりがない。女性のスタッフもあちこちに増えたが、彼女たちは男性原理の下に芝居を支える裏方として、男たちと同じ扱いをされる。(P81)


おまけに、


歌舞伎や日本舞踊など伝統芸能の家では、子供が父親に逆らうことなど許されない。(P28)


などと、長幼の序や役者名の格が重んじられることが何度か説明されているので、梨園が、あの華やかで賑々しい見た目からは思いもよらないほど厳しい縦社会であることが想像でき、おっさん会社で四苦八苦した覚えのあるわたしなど、ゲッソリしてしまう。


そんなスクエアな世界に生まれた葵は、生まれながらの才能に導かれるように芸の道を志し、“役者”になりたいと切望するようになる。自分を溺愛してくれる人気役者の父・京二郎や、父と兄弟同然の著名な歌舞伎役者・皆川翔十郎こと凱史、従兄で歌舞伎界を支える日本舞踊の風間流宗家・峻と、梨園の重鎮たちが揃って大反対するにも関わらず。


というわけで、なんとしても役者になりたい葵と、なにがなんでもそれを阻止したい父たちとの攻防が、時に激しく、時にえげつなく繰り広げられることになる。


これがもう、まさに“死闘”と呼びたいほど激烈な攻防で――葵の行く先々で、父たちの差し金によって役者への道がパタンパタンと閉じられていく様子に、読みながら何度も胸が詰まりそうになった。


なにしろ、楽屋や劇場への出入り禁止はともかくとして、問答無用でイギリスの女子校に留学させられたと思ったら日本に戻されたり、これまた問答無用で父たちの息のかかった映画プロデューサーと婚約させられたと思ったら別れさせられたりと、「そこまでするか!?」のオンパレード。


自分がやりたいことを巡ってそれなりに親と対立した覚えのあるわたしとしては、次々と襲い掛かる理不尽な試練に憤り悲嘆にくれる葵に、共感せずにはいられない。


でも同時に、地獄のような苦しみから逃れられない“役者”の道と、身ぐるみ剥がされかねない芸能界から愛娘を守りたいという父・京二郎や凱史の気持ちも、分からなくもないのだ。わたし自身がすでに、葵ぐらいの子供がいてもおかしくない年だからかしら。


ま、留学とか婚約とか、いくら反対しているとはいえやりすぎだと思うけれど、愛娘の気持ちを無視し、まるで人形のように右に左に動かすエゴイスティックな振る舞いは、いかにも男社会に生きる男性らしいといえるのかも。


ところで、父たちが圧倒的な力を持つ男社会に対し、葵はまさに「真正面からぶつかって」いるのだが、作品に登場する女性たちが、それぞれ全く異なる“男社会での身の処し方”を見せているのが、とても興味深い。


葵の母・梢は、夫である京二郎に逆らう娘をおろおろしながら見つめ、夫のやることに決して口を挟まない。梢はもともと京二郎のファンで、京二郎の後援会を通して結婚した一般女性なのだが、彼女は「男性の望みどおりに従う」タイプといえる。


これに対し、陰ながら葵をサポートするのが、凱史の妻であり、自身も“梨園の娘”である清香だ。


女性が軽んじられる梨園に反抗してイギリスに高飛びした過去がある清香は、葵の留学先に演劇クラスのある学校を選んだり、葵が大学の演劇サークルで学べるよう手配したりと、夫たちに分からないよう、葵に手を差しのべる。彼女は「男性に従うように見せかけながら自我を通す」タイプだろう。


母ではなく、血の繋がりのない清香がなにくれと葵を助けるのは、やはり同じ“梨園の娘”だからこそ葵の気持ちがわかるからかなぁと思うと、梨園の中の男たちとは別の、女のつながりのようなものが感じられて趣深い。


実はあと二人、京二郎や凱史たちが語る中に登場する女性がいる。やはり“梨園の娘”で女優デビューした芝谷るりと、その母親で女性ばかりで構成される「芦屋歌劇団」出身の“梨園の妻”だ。


しかしどうやらるりの母親は、「真正面からぶつかって自我を通す」タイプであるばかりか、梨園(≒男社会)の暗黙のルールを踏みにじって京二郎や凱史たちの不興を買いまくっており、るりはそんな母親の言いなりになっている模様。


同じ梨園の女でも、なんだか孤立している感じ――この二人は“母と娘”という関係性の、別のドラマが生まれそうだな。


葵も「真正面からぶつかる」ことで父たちに潰されかかっているものの、清香の助言によって演劇の基本を学び、日舞の厳しいお稽古を続けて宗家の峻に一目置かれるようになり、最後には演技への真摯な取り組みによって、凱史の幼なじみでやり手マネージャー・神崎を味方につけ……と努力を積み重ね、徐々にアゲインストな状況を覆していく。


そして物語の終盤、梨園の力が及ばないインディーズ映画の主役の座をつかみ、葵はとうとう念願の役者となるのだ!


――まったく、葵が役者になれなかったら、京二郎や凱史たちの妨害は、ずいぶんと後味が悪かったに違いないよ! そして葵がデビューしたとたん、これまでの妨害がなかったかのように大喜びする京二郎たちのゲンキンさに、呆気にとられたよ! 


葵の出演をやめさせようと、映画監督に怒鳴り込みに行った京二郎が、逆に映画監督にやりこめられてしまうシーンは、正直、ちょっとスッキリした。前作では“本当の恋”をしたことがなかった京二郎が、映画監督から「あなたは娘をもうけて初めて恋をしたんだ」と指摘されるなんて、感慨深い。


物語のラスト、峻や京二郎が率いる若嶋屋一門の発表会で、葵は兄・桂の代わりに、父と『連獅子』を踊る。『連獅子』は親獅子が子獅子を千尋の谷に蹴り落とし、子獅子はその試練を乗りこえ断崖絶壁を駆け上って父と並ぶ、という筋立てを舞踊化したもの。


その筋立てはまさに京二郎と葵の関係そのものであり、二人がそれを踊るシーンには、葵のこれまでの苦労が報われる爽快感を感じつつ、父娘の関係が今後また新たに展開することを予感させられて、じんわりと胸がいっぱいになった。


――ここまでで、超長くなってしまったけど――今回、おもに“梨園という男社会でもがき這い上がるヒロイン”にクローズアップしてレビューを書いたけれど、もちろんこの作品の面白さはそれだけじゃない。


風間流宗家の財政事情を立て直すため、元広告代理店の凄腕営業マン・神埼によって、京二郎や凱史、そして前作『花に舞う鬼』にも登場した当代きっての女形・藤村蘭寿郎こと瑛が広告媒体に出演するくだりは、日舞家元の収支がぼんやりと想像できて興味深いし、広告代理店との打ち合わせや撮影の様子は目の前に浮かぶようだった。


その瑛は芸一筋で生きてきたため浮世離れしているのだが、そんな彼と、彼を一心に慕う養子で凱史の二男・保章との父子関係も、風変りでもっと見たくなること請け合い。オペラのアリアを歌ってストレス発散……予想外だなぁ!


また、凡庸でお芝居に興味がないというのに、歌舞伎役者を宿命づけられている葵の双子の兄・桂の行く末も気になる。伝説の振付師だった伯父・蛍一郎と同じ呼び名をつけられ、偉大な父の跡を継がなければならないプレッシャーは、いかばかりだろうか。


恐らく桂自身が、自分には才能がないとわかっているらしいだけに、彼の抱えるプレッシャーを想像するといたたまれない。若嶋屋一門の発表会を前にして、「僕はお父さんじゃない!」とブチ切れた桂の叫びには、京二郎に抵抗し続けた妹・葵との血の繋がりを感じたよ……!


親の反対に抵抗する娘や、男社会を生きていく女性たち、多大なプレッシャーに押しつぶされそうになる凡人など、共感しやすいポイントが多かったせいか、夢中になって一気に読んでしまったこの作品。


前作以上に、「この登場人物はこの人かなぁ……」と、実在の役者をあてはめて想像したくなったのだった。


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Tags: 東芙美子 ジェンダー フェミ? 男という生き物

Comment 2

2014.04.18
Fri
00:32

やめ #-

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30年ほど前から、年に2、3度観に行く程度の、歌舞伎ファンでもある腐女子です(歳がばれる~)前作を含めて読んでみたくなりました
実際に、歌舞伎の家に生まれて、兄弟達のように舞台に立てないと知り、愕然とした経験を持つ女の子はすくなくないようですよ
BLという言葉がなかった頃、腐女子必携(?)だったのが、赤江瀑(あかえばく)という作家さんの作品群でした。芸を極めるという妄執にとりつかれた表現者を描く短編が多く、妖しく美しい作品たちです。亡くなられている作家さんですし、殆どが絶版になっていると思いますが、機会がありましたら読んでみてください
昭和の耽美小説ですf(^_^)

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2014.04.20
Sun
15:41

lucinda #-

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コメントありがとうございます

>やめさん

レスポンスが遅くなってすみません。
歌舞伎役者の娘さんで、歌舞伎が好きな方だと、歌舞伎の舞台に立てないというのは悲しいでしょうね。
赤江瀑さん、何度かお聞きしたことがあります。機会があれば読んでみたいと思います。

ありがとうございました!

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