BLは“男の絆の虚構”を暴露しました―「江戸のエロスは血の香り」(氏家幹人)、「男の絆 明治の学生からボーイズ・ラブまで」(前川直哉)[4]

 23,2013 05:23
精神的男色で結びついているくせに、ホモフォビックでミソジニーな「男の絆」。当然女性は、そこには入れない。


しかし、女性はそんな「男の絆」を鑑賞する快楽を手に入れた――と、『男の絆 明治の学生からボーイズ・ラブまで 』の著者、前川氏は、BLと腐女子についてそんな風に説明する。


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■BLが暴いた!? “男の絆”の虚構


「男の絆」に排除されが女性が、「男の絆」に魅力や萌えを見出し、鑑賞して消費し始めたのは、高度経済成長期後の1970年代ではないかと、前川氏は推測する。


その推測の根拠として引用されているのが高井昌吏氏の論説で、「解放的な風潮や異性愛的な欲望が社会に広がった当時、逆に“禁欲的”な「男の絆」が脚光を浴びたのではないか」と、当時の社会の雰囲気が説明されている。


そんな雰囲気のもとで、少女マンガに男性キャラクターが多く登場するようになり、『週刊少年ジャンプ』を愛読する女性が増えていった。そして「女性は“男の絆”を鑑賞するという“快楽”に到達した」と前川氏がみなして挙げられている少女マンガの作品例が『ここはグリーン・ウッド』(那州雪絵)。


余分な雑味を排したファンタジーであるからこそ、そこに描かれた「男の絆」は、多くの女性をとらえ得たのだと思います。 (P195より)


“余分な雑味を排した”という分析、鋭いなぁ!


前川氏はBL作品が誕生した背景について、「他の絆にはない輝きがあるとする、特権化された“男の絆”」「性別役割分業観にのっとって少女マンガで描かれてきた“恋愛”」という、「明治以降に作り上げられたジェンダーの約束事」から生み出されたもの、と主張する。そして、


女性たちは、自分たちが入れない「男の絆」について、それを鑑賞して楽しむという方法を編み出しました。ついでに、この男の子たちに恋愛させてみたらどうだろう。幸い少女マンガには「恋愛」を描き続けてきた歴史がある。おお、何かいい感じの作品ができたぞ。――言ってしまえば、ただそれだけのことです。 (P203より)


と、当然だとばかりに清々しく言い切るのだ。斬新……! 確かにそういう一面もあるか――いや“それだけ”でもないと思うけど……。


しかし世の男性は、BL作品や腐女子を「気持ち悪い」などと排除しようとする。その理由として挙げられているのが、以下の二点。


1)女性が性的な喜びを感じることへの拒否感
2)恋愛や性とは別物とされている「男の絆」と、男性同士の恋愛やセックスが、実はすぐそばの地続きのところにある事実を、BLが暴いたから



――おおお、“2”がさらにいっそう斬新だよ!!


明治時代、「“男の絆”は男同士の精神的な深い交わりであり、恋愛とは次元が違う」と“男の真の友情”を主張してきた男性は、大正時代に“同性愛者”というカテゴリーが作り、同性への恋愛感情や性的欲望をすべてそこに押しやってきた。


そのため、男性同士の恋愛やセックスなどが扱われているゲイっぽいビデオやコミックなどは、「リアルさを伴わないゲイネタ」としてなら、男性は何とか許容できるという。「自分たちとは関係のない世界の話」と信じ込めるから。


ところがBLでは、ゲイだろうとノンケだろうと、男性同士がたやすく恋愛しセックスをする。これは、「男同士で恋愛もセックスもしないというのは、単なる“お約束”にすぎなかったことが明らかにされてしまい、“男の絆”は、その“お約束”の上に成り立っている作りごとでしかない」ということを暴いてしまったことになるらしい。


――興味深い分析だ。確かに「男の絆」に男同士の恋愛やセックスも含まれるとなると、「精神的なつながりだから、女性との恋愛よりも高尚」だとする根拠はなくなるし、男性同性愛者を排除する理由もなくなってしまう。「男の絆」の特別さが失われてしまうのだ。


でも――よくいわれることだけど、BLも“リアルではない”と評される。さらにいえば“リアルなゲイとは別モノ”と切り捨てられることも珍しくない。そういう意味では、「リアルさを伴わない“ゲイ”ネタ」にも引っ掛からない、ともいえる。


それなのに男性が、BLを非難し排除しようとするのは何故なのか、考えてみれば不思議だ。ゲイネタにはない、「オレたちには関係のない世界の話」と男性たちが見過ごせない何かを、BLに感じているのか?


前川氏の挙げた理由“2”のとおりだと、面白いことになりそうなんだけどなぁ。だって、男同士の恋愛やセックスが含まれる「男の絆」は、“同性愛者”というカテゴリーが存在しなかった、明治時代の学生や戦国時代の武士たちの“男色”と同じということになるのだ。


それは、明治時代に必死で取り込んだ西洋的価値観の一つ「同性愛の排除」を、今一度見直すことにもつながるかもしれない。衆道を無理に、“恋愛”と“友情”に切り分けざるをえず、“性別役割分業”を発生させることにもなった価値観を。


――思わずいろいろと妄想してしまった。『絆』で論じられている同性愛や、BLおよび腐女子についての考察は、とても刺激的だった。かなり長い感想になってしまったけど、これでもあれこれ割愛しているほど。


これまでちょこちょこと、BLや腐女子について考察されたものを読んできたけど、男性の考察で抵抗感を感じず読めるものは、わたしには珍しい。こんな感想、“性別役割”の思い込みに凝り固まっていると思われるかもしれないけど。


でもだからこそ、前川氏が腐女子について述べるこの文章に、ハッと背筋が伸びる思いがしたのだ。


「なぜ腐女子は男同士の恋愛に魅かれるのか」という問いを立てることもしません。なぜならそれは、「同性愛者はなぜ、同性に性的な欲望を感じるのか」という問いと同じ、誤った問いだからです。本来問われるべきは、「男同士の恋愛を描いた作品を愛読するだけで、なぜ「腐女子」などという蔑称で呼ばれなければならないのか」です。 (P200より。太字は管理人)


――「腐女子」という言葉は、腐女子自ら、自嘲的に自称したことから生まれたといわれているけど、そうだとしても、どうして“自嘲的に自称”してしまったのか、その背景を想像すると複雑なものがあると思う。


さて最後に、『男の絆 明治の学生からボーイズ・ラブまで』で“同性愛”という言葉についての説明を読んで、ふと思い出された『江戸のエロスは血の香り』の印象的な話をピックアップしたいと思います。


続きます。


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Tags: 氏家幹人 前川直哉 ゲイ 男色 歴史 ヘテロセクシズム 同性愛 腐女子

Comment 1

2013.09.26
Thu
01:07

lucinda #-

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拍手コメントRES

>09/23 09:23 Fさま
コメントありがとうございます! この本、本当に面白かったです。そうそう、灘高の教師をなさってるんですよね。カミングアウトもされているということに驚きつつ、良い環境なんだなぁとホッコリしました。

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