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色恋抜きの“男の絆”の始まり―「江戸のエロスは血の香り」(氏家幹人)、「男の絆 明治の学生からボーイズ・ラブまで」(前川直哉)[2]

 21,2013 22:43
“お互いに切磋琢磨し合う”対等な関係として賛美され流行っていた、明治時代初期の学生男色は、女学生の登場によって“男女間の恋愛の代わり”という軟派なシロモノになり、衰退した。


男同士の肉体的な接触に眉をひそめていた明治の有識者たちは、さぞかし胸をなでおろしていただろうと思いきや、そういうわけでもなかったらしい。


ここでは、前川直哉著『男の絆 明治の学生からボーイズ・ラブまで』(以下、『絆』)を中心に、感想をまとめています。


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■“恋”を差し引いた“男の友情”、賞賛される


女学生が登場し、芸娼妓との“女色”ではない、結婚へとつながる可能性のある“恋愛”がもてはやされるようになって、衰退していった学生男色。


しかしその様子を嘆き、「恋愛は女がするもの。男が恋愛を口にするのは恥」「恋愛ほどつまらないものはない」という批判的な、“男性の脱恋愛化”を主張する意見が当時の人気評論家たちによって繰り返され、硬派な学生たちに支持されていたという。

しかもこうした主張は、「女性は家庭に、男性は広く社会に生きるべし」という、現在でも非常に良く耳にする男女の“性別役割分業感”につながっていたというから驚く。


――女学生との“恋愛・結婚・家庭”という幸福イメージを学生たちに持たせることで、男色を排除したんじゃなかったのかよ! 「女は内、男は外」の役割分業は矛盾してるんじゃないのかよ!


と、思いっきり非難したくなると同時に、


幸福イメージ受容派/男性の脱恋愛化反対=
幸福イメージ排斥派/男性の脱恋愛化賛成=



という現在目にしてもあまり違和感のない分類は、20世紀初頭から続いているのかと思うと、微妙な気持ちになる。


そして、男性の脱恋愛化を唱えていた硬派の主張はこんなところに行き着くのだ。


肉体的な関係は許されないが、男同士の精神的な深い交流、すなわち“真の友情”は素晴らしい。女性との間の精神的な交流の比ではない。“真の友情”は女には見られない、男同士だけが持てるもの。“真の友情”があれば、学生の恋愛など不要なはずだ!


――はいはいそうですか……と、ゲンナリして突き放したくなるような主張だけど、ほぼまったく同じ主張を今でも見かけないだろうか?


結局のところ、学生男色の大義名分だった“お互いに切磋琢磨しあう”関係が、男色とともに排斥されてしまうのは、明治時代の識者たちは納得がいかなかったんだなぁと思う。別に男色の有無に関係なく、切磋琢磨しあう関係は築けるだろ、と思わないでもないけれど。


こうした主張について、著者の前川氏が「精神的男色」と的確に形容されているのが、なんとも痛快だ。


ただ、学生男色の衰退から男同士の真の友情提唱までの流れを読んでいて、明治の人たちが欧米の文化や思想などを咀嚼して自分の内に取り込もうとしていた必死さは、ちょっぴり感じた。


“恋”や“色”という言葉はそれまでの日本にあったものの、それでは説明できない新しい観念を表した、翻訳語の“恋愛”。欧米では異性間でしか発生しないとされていた“恋愛”。


だが、“恋愛”に含まれるという観念的なものは、学生男色にある(とみなされていた)「お互いに切磋琢磨しあう対等感」のような精神性に通じるものがあると、当時の人は本能的に感じ取っていたのではないだろうか。


ただ、男色には欧米が禁止している男同士の肉体関係が含まれる。それなら、精神性だけを“友情”として切り分け、肉体関係を排除すればよかろう――そんな逡巡と妥協を想像してしまうのだ。


『絆』には、1890年(明治23年)の雑誌に掲載された“恋愛”を説明する文章が引用されている。


「ああ、人の心霊と身体とに革命を行なう恋愛よ。趣味想像の新しき境域を開拓する恋愛よ。英雄を作り豪傑を作る恋愛よ。家を結び国を固むる恋愛よ」 (P92より)


これを読んだ時、“恋愛”を“衆道”に置き換えても、違和感ないんじゃない?――と思ったわたしだ。


ま、仮に当時の“恋愛”観に「お互いに切磋琢磨しあう対等感」のようなものが含まれていたとしても、どうしてそれを女性とは構築できないと考えたのか、当時の硬派の論客たちに聞いてみたい。「男は外、女は内」という性別分業を唱えていたぐらいなので、推して知るべしというところかしら。


ともかく、男色から“友情”部分だけを切り分ける傾向は、大正時代に“同性愛”という言葉が誕生し浸透してから、ますます加速する。


[3]に続きます。


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Tags: 氏家幹人 前川直哉 ゲイ 男色 歴史 ヘテロセクシズム 衆道

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